湯峯王子


熊野御幸の時代には、この王子は見えていない。仁和寺に残る文献によると鎌倉時代の末期にはあったとされる。湯垢離場としての成立とともに王子が設けられたのではないかと推測される。江戸時代、三越峠から柿原宿を通り湯峰を経て熊野本宮大社に参拝する人が増え、その後、一般化した。もとは、現在の東光寺の右側に社殿があったが、明治36年5月の火災で焼失した。
現在は、上の画像の通り、その後方の山の上に小祠がある。(県指定の王子跡は、現在の東光寺と湯の峰温泉公衆浴場の間を抜けてその裏手にある。)